Beginning of the end
| 紗耶香が娘。を辞めると聞いた、何日か後のことだった。 悲しいとか寂しいとか悔しいとか、そういう気持ちは全部通り過ぎた。 だから、淡々と、また繰り返される日常。 僅かに残された大切な時間がじりじりと削られる音を聞きながら。 場所は何処だったのか、よく覚えていない。 偶然、紗耶香と二人きりになった。――それが意識的だったのかどうかは凄く微妙だけど。 紗耶香が帰り支度を整えていて、あたしはそれを待っていた。 その部屋には窓がなかったのに、しっとりと湿った空気で、あぁ、外は雨なんだと思った。 一時期から比べてだいぶ長くなった紗耶香の髪が、いつもより黒くつややかに見えた。 髪が伸びても、もうあの頃の紗耶香じゃない。 変わらないのはあたしの、この気持ちだけで。 それさえも、これ以上続かない。そうして、時間は戻らない。 だったら、今ここで、消えてなくなればいい。 未来なんか、きっと最初から存在しなくて。想いは途切れることを望んでる。 紗耶香。 名前を呼ぼうとして、声が出なくて。なのに、こちらを振り返る紗耶香。 「今、呼んだ?」 呼んだよね?と。純度100%の眼差しが痛い。 「……あぁ。うん。呼んだ」 素知らぬ振りの出来ない自分。情けな過ぎる。 「えーと。……ちょっとさ、キスしていい?」 感情なんかとっくに麻痺しているから。夢の中みたいな、熱に浮かされてる気分で。 けれども夢ではないらしく、きちんと紗耶香のリアクションが返ってくる。 ふにゃりと笑う瞳。前のめりに二つ折りになって、全身で脱力して。 「何っ……何言われるかと思った、今」 冗談の域を越えない反応が、心から微笑ましい。ココロとは別の場所でそう感じる。 そんな雰囲気に、敢えて紛れて。そっと、紗耶香の肩に手を添えた。 つられるように笑える自分はいつより空々しい。それが悲しい。 ん、と微かに突き出された唇に、唇を合わせた。 あっけないキスに、紗耶香は意外そうな顔を隠さない。 「何、これだけ?」 そういうところばかり、なんで妙に鋭いんだか。思わず苦笑いすると、紗耶香はむうっと膨れた。 「なんだよ!だってさ、圭ちゃんがわざわざ、前もってあんなこと言うからさぁ!」 「何されると思ったの、あんた」 人差し指で、紗耶香の額を軽く突つく。 呆れた口調。余裕の笑顔。自分で自分を追いつめるように。何のために。 「……なんか、さ。なんてゆーか。もっと……マジな、キス。するのかと思った」 俯いて、拗ねたように唇を尖らせる紗耶香。 懐かしい。苦しい。 「気持ちは、本気だよ」 紗耶香。 紗耶香。 本当に、大好きだった。 一度だけ、その瞳を見つめた。驚きの色が困惑に変わる前に、あたしは自分のバッグを掴んで足早に部屋を出る。 背中から、どんどん遠ざかる紗耶香の気配。追ってくることは決してないと知っていた。 外に出ると、細かい雨。走り出したあたしの身体を霧のように包む。柔らかく優しく、それでも許すことなく。 ただ、あの部屋に紗耶香を一人で置いて来たことだけが辛かった。 |