Heart on wave
| ガラスのドアの向こうでは雨が降っていた。 見るからに重たいそのドアは、外界の音を一切遮断して。 夏の夕方だけど、ただ薄暗い空間。 ひんやりとした、裏口の玄関ホール。少し前をとてとてと、矢口が歩いてる。 「あーヤダぁ、やっぱり降ってるー。なっち、傘持ってる?」 「持ってるよ。待ってて、今出すから」 バッグの中を探った、そのとき。飲茶楼の着メロが鳴り出した。 ……なっちのじゃ、ない。 「裕子だーっ」 矢口が携帯を取り出して声を上げた。 ぴかぴかと点滅するアンテナとディスプレイが眩しい。 「もしもーし。はい、矢口……あはははは!ゆーちゃーん、なんだよぉっ」 矢口の明るい声が、誰もいない空間にやたらよく響いた。 ――矢口と、裕ちゃん。 胸の奥がきゅっと痛んだ。 「なにー?あー、スタジオライヴかぁ。うちらもやったよ、こないだタンポポで」 喋り続けながら、それでもあたしに目線を送って、ゴメンね?って伝えてくる矢口。 あたしは、笑い返す。柔らかく。 他愛もない会話は続く。 厚底サンダルのせいで、矢口はなっちより少し背が高い。 手を伸ばして、その肩にふれた。 笑ったままの表情で、矢口が振り向く。 外は、暗くて。音のない雨が降ってる。冷たい空気。 息が苦しい。――ここは、ガラスの水槽の中みたい。 誰も、いなくて。誰も、いないから。 「あのね、裕ちゃん?今ね、な……っ」 唇を、かさねた。 至近距離。 携帯から、裕ちゃんの声と。雑音。 『矢口?もしもし?……おーい。矢口ぃ。聞こえてへんの?』 その声が少しずつ訝しそうに変わるのを聞いて、唇を離す。 矢口は、反射的に閉じていた目をゆるゆると開けて、曖昧な表情。 口元は笑おうとしてるけど、瞳が泣いてる。 そうして、視線をゆっくりと、手の中の携帯に落とす。指先が微かに動いてボタンをひとつ押した。 ノイズが消えて、静けさが戻ってきて。だけど。 ……戻れないことも、あるね。 薄暗い世界。何か大切なものを見失った気がした。自分が今どんな顔をしているのかさえ分からない。 ガラスの向こうで、音のない雨が降り続いている。 |