For a moment



そういえば、この子とはあんまり話をしたことがなかったな。

ついつい声をかけてしまってから、そんなことを思い出した。

「石川?」

集合場所のスタジオに程近い街の中。

「……あ、保田さん」

最初、軽くこっちを伺った相手は、くるりと折り目正しく向き直る。

「おはようございます」

「おはよう。行く途中?」

はい、と頷く石川と、そのまま並んで歩き出した。



「時間、まだ全然余裕じゃん。石川いつも早いよね」

腕時計を見ながら、偉いねぇ、なんて呟く。それには、照れ笑いの声が返って来た。

深く被った帽子から覗かせた瞳を、はにかむように細めて。

「遅刻しないようにって思うと、三十分ぐらい早くなっちゃうんです」

つられて、こっちまで微笑んでしまうような口調と、声。ふんわりと優しい、石川梨華という女の子。



教育係って言っても、ほとんど形だけだったような気がする。

たまーに、番組の企画なんかで組になったりしただけで。別に、これといって何かを教えた覚えもない。

なんでって、だって――石川、タンポポだしさ。あっちで圭織も矢口も、いい先輩みたいだし。あたしはあたしでプッチだし、吉澤がいるし。

「なんか……あんまし会話ってものをしたことがなかったね。あたしと石川って」

目的地のビルに着くのに、たいして時間はかからなかった。

「そう、ですね……。でも。……あれ?何階ですか?」

自動ドアを通り過ぎて、石川が壁の表示に目をやる。

「三階だよ。あー、エレベーター上に行っちゃってる」

そう広くないエントランスで立ち止まる。2、3、と上っていく階数表示のランプを、二人で黙って見上げた。



「……でも、何?」

「あ。えーと、でも石川の教育係は保田さんじゃないですか」



「……まぁね」

「そうですよ」

あたしは、上向き三角のボタンを、かちかちと何度も押していた。意味もなく。

石川の声は、本当に石川そのものだと思った。



静けさに紛れるように視線を向けたら、石川が持っていた紙袋に初めて気がついた。

なんだかやたら見慣れている、そのデザイン。誰のせいでとは言わないけど。

「何、石川もハマってんの?」

「あ。はい。時間があったんで、買いに行ったんです」

『ベーグル&ベーグル』の紙袋を指差して尋ねると、石川は首を竦めて笑った。

それにしても、見た目わりと持ち重りがしそうな大きさ。

「ちょっと、だいぶ買い込んでない?いくつ入ってるのさ、それ」

「やー……なんだか多くなっちゃって。よっすぃーの分も買ってってあげようとか思ったら、こんなになっちゃいました」

やっと降りて来たエレベーターに乗り込む。

困ったように語る石川は、それでも何処か嬉しそうだった。



「仲いいねー、君たち」

大切そうに紙袋を抱え直した石川に、何気なくそう言ってみた。

冷やかしとかそんなんじゃなく、素直な感想。カメラを向けるといっつも抱き合う二人に。

石川は、意外にも照れたりしないで、ごく普通の表情のまま。それでもやっぱり、微かに優しい眼差しで呟く。

「仲、いいですよ」

エレベーターはあっというまに三階に着いて、扉が音もなく開く。



「私、よっすぃーのこと大好きなんです」

いつより柔らかい声で、そう聞こえた。



返す言葉もないまま、廊下の突き当たりにあるスタジオに入って行く。マネージャーやスタッフさんに挨拶して、今日の説明を受けて。

そうしている間にメンバーはみんな揃って、結局その後石川と話す機会は見つからなかった。



……いいな。

バカみたいに単純に、そう思った。

あんなふうにさらりと言ってしまえる石川も、そんなふうに想われている吉澤も。

なんか、いいな。かなり羨ましさに似た気持ちで、ぼんやりと楽屋の中を見回す。

石川が開けた紙袋を、吉澤が嬉しそうに覗き込んでいた。――丸めた背中には、加護が覆い被さっている。

そんな三人が微笑ましくて、あたしは最近持ち歩き始めたカメラを手にした。

シャッターの音とフラッシュで、視線が一斉にこっちへ向かう。恥ずかしそうな笑顔に変わるのを、ファインダー越しに見ていた。

「もう一枚っ」

アンコールしたら、吉澤は加護をしがみつかせたまま、石川の肩に手を回した。



……それから繰り広げられたテンションの高い光景は、昨日までに何度も目にしていたものと同じように見えるけれど。



だから、石川。
いつかまた、話をしよう。

今日みたいに、偶然を待つから。