Fly in the midnight



会いたいと思うのに理由なんか要らないんだけど。

実際会うとなると、理由が必要になっちゃったんだっけ。

ふかふかのクッションをぎゅっと抱きしめて、顔を埋める。

――でも、会いたい。

なんだって、こんな夜中に。仕事を終えてくたくたで帰ってきて、やっと一息ついたばかりなのに。

裕ちゃんに会いたくて堪らなくなってる。



目を、閉じる。握り締めてる手の、指先がじんじん痺れてるみたい。

勿論そんなに力を込めてる訳じゃなくて、ただ血の気が引いて冷たい気がするだけ。そんな錯覚。

それは、寂しい気持ちに直結していた。



……裕ちゃん、自分ちにいるのかなぁ。

タクシーを使えば30分もかからない、その距離が迷わせる。今すぐ向かってしまおうか。顔を上げる。

でも。明日の仕事が朝早いとかだったら、かわいそうだよね。今日すっごい疲れてて、ゆっくり休みたいかもしれないよね。

こんな気持ちになるって分かってたら、裕ちゃんのスケジュール、さりげなくチェックしといたのに。……んもう!

分かってたことだけど、あらためて切ない。裕ちゃんとの間に、薄いフィルターが一枚かかってしまったみたい。

お互い遠くなった訳じゃないのに、不透明なそれに邪魔されてる感じ。前より絶対に不便で、何か悔しい。

クッションを抱えたまま、ころん、と床に寝転がる。このまま眠ってしまいたい。何も考えず、明日の朝に目覚めるまで。



フローリングの床が背中に冷たいことも、瞼を閉じていても眩しい蛍光燈も、なっちを急かしているように思えて仕方ない。

……早く。早く。

分かってるよ、うるさいなぁ。でもね、なっちも明日、朝早いんだよね。今日は疲れたし、ホントは出かけるどころじゃないんだってば。

だいたい、その辺が裕ちゃんにバレたら叱られるっしょ?自覚とか、責任とか。――ね、裕ちゃん?

頭の中で一通りシュミレートする。もしも今、電話したなら。きっと。

柔らかく諭す声が耳の奥に蘇って、そんな自分に小さく笑う。

泣きたいぐらいに、悲しくなってた。






「……もしもし、裕ちゃん?こんばんは。なっちだよ。寝てた?……あぁ、じゃあ良かった……うん。うん。そうだね……。

  今、どこ?……そうだよね。一人?……えぇ?えへへ……違うよ、そういう意味じゃないけど……もう!裕ちゃん!

  ……ん?ううん、なんでもない……ごめんねー……やー、ちょっと。……そう?ありがと……うん。大丈夫。はぁい。おやすみ……」






電話を切ってから25分後、あたしは裕ちゃんちのマンションのエントランスに着いた。

オートロックを開けてもらわないといけない。部屋番号のボタンを押す音が、しんとした空間でやけに響いた。

くぐもったスピーカー越し、怪訝そうな反応。

「裕ちゃーん……なっちでーす……」

無意識に声を潜めて呼びかけたら、瞬間、絶句。小さく、『なんやねんな……』と呟くのが聞こえる。

『……はい。開けるよ』

義務的な声に続いて、カチャリ、とささやかな音がした。



上っていく、エレベーターの中。くらり、と目眩に似た感覚さえ、高揚するのを抑え切れない。

――会いたかったんだよ。

声だけでも聞けたら、と。縋る気持ちでかけた電話も、やっぱり足りなかった。

分かってる。明日の仕事が辛くなるって。でも、今夜裕ちゃんに会えたら、きっともっと頑張れる。

分かってる。裕ちゃんには迷惑かもしれないって。でも。

元々、こういうふうに突然訪ねられるのは好きじゃないってことも。こんなことしたら、すごく心配されるだろうなってことも。

分かってて、それでも我慢できなかった。叱られるかもしれないね。……緊張してるよ、今。

会えたら、すぐに帰るから。裕ちゃんの顔、見れるだけでいいの。本当に。

何しに来たん?って、呆れたように言ってくれたら、それだけで――。



エレベーターが、ほどなく目的のフロアに止まる。踏み出した足が少し震えた。

ドアの前に立って、何かを思う間もなく指がチャイムを押す。可笑しいぐらい、心臓がドキドキしてる。

――裕ちゃん!

ぎゅっと目をつぶったら、ドアが開く気配がした。慌てて目を開けたら、裕ちゃんがそこにいた。当たり前なのに、夢みたいに思う。

「……ホンマになっちや」

予想通りに、呆れてる声。でも、何処か暖かいな、っていつも思える声。あたしは途端に動けなくなる。

考えてたいろんな言葉は頭の中で回るだけで、上手く切り出せない。

「あの、ごめんね、急に。すぐ帰るから……裕ちゃん、なっちね……」

懸命に言葉を紡ぐより先に、裕ちゃんがあたしの腕を引いて、ドアの中へ招き入れた。



ぱたん、と後ろでドアが閉まる。見知った玄関。……えっと。

困った顔で見上げたら、至近距離で視線がぶつかる。表情が伺えない瞳の色。

「あのね……なんでもないの、顔見たかっただけだから……」

「えぇから」

柔らかい声が、耳元まで近づく。きゅう、と抱き寄せられたから。

「とりあえず、ちゅーさせて。な?」

――話は、それから。

優しい言葉が耳を掠めて、頬を滑る唇。そして。



待ち焦がれてた、キスだった。