Bright birthday
| 日付が変わるまで、あと一時間ちょっと。 そんな12月5日の夜、紗耶香が唐突に拗ね始めた。 「やっぱ、やーめたっ」 キッチンに立ってグラスを洗っていたあたしの耳に、紗耶香の投げ出すような呟きが届く。 「――あ?」 水音が邪魔で、よく聞き取れない。振りかえったら、ソファの上で寝転がってる(らしい)紗耶香の足が見えた。 ばたばたとそれが暴れる度に、下敷きになってるクッションが悲鳴を上げている。 「……どしたの?紗耶香」 さすがに異変を感じて、手を止めてソファに近づく。見入ってるものだとばっかり思っていたTVは、いつのまにか消されていた。 「今日ねー……圭ちゃんの誕生日、祝ってあげようと思ってたんだけど。――やめた」 紗耶香は枕代わりのクッションに顔を埋めていて、そのせいで微かにしか聞こえない言葉だったけど、確かにそう言って。 ……で。 「う、えぇっ!?」 言ってる意味を理解したあたしが情けない叫び声を上げたのは、仕方ないことだと思ってほしい。まったく。 「なんでー?なんでいきなり、そういうコト言うかなぁ?」 伏せっている紗耶香の頭をぺしぺしと軽く叩きながら、その場に座り込む。 「ねー、どうしたのよー?紗耶香ちゃん?」 柔らかい髪を、今度は撫でてみる。……完璧に御機嫌伺いモードな自分は、でも、まぁ、いつものことか。 と、紗耶香がゆっくりと首だけ動かして、やっと顔を見せた。 見上げてくる視線は、明らかに不機嫌な子供というか、安眠を妨害された犬というか――実際、見えなくない。うん。 そうやって楽観しているあたしに気づいたのか、紗耶香は唇を尖らせて、呟く。 「……別に、どーもしてないけど。気が変わった」 そっけない、とりつくしまのない言葉。それから、また顔を伏せる――だけじゃなく、さらに90度身体を反転させた。 つまり、あたしに思いっきり背中を向ける姿勢をとっている。そうされてやっと、あたしは、焦る。 「……紗耶香?」 背中に向かって呼びかけるのは、すごく不安で。そっと伸ばした手で肩にふれたいのに、ためらってしまう。 「ねぇ、なんか怒ってる?」 言ってくれなきゃ分からないよ。――紗耶香に対して何度も繰り返してきた台詞。まだ、足りない。 「別に、なんも、怒ってない。なんでもない。ただ……なんか、そーゆー気分じゃないんだ」 投げやりな、その調子。でも少しだけ、苦しそうな気配を感じる。それが分からないあたしじゃ、ない。 紗耶香は確かにワガママだけど、それにはきちんと、いちいち理由があるのだから。 「なんでもないなら。こっち、向きなよ」 つとめて普通の呼びかけに、それでも紗耶香は首を振るだけだった。 ――なんで、だろ。 寂しいのと、悲しいのと、もどかしいのと。それが全部混ざって、いちばん危うい感情に繋がる。 「紗耶香!」 辛うじて抑えた声が掠れる。紗耶香の背中が、びくり、と揺れた。 「何……なんで、そんな態度取るの!?そうやって拗ねられても、あたし、全然分かんないし、どうしようもないんだからね!?」 胸の奥とか。指先とか。苛々する感情が静電気みたいに蓄積して、理性を麻痺させる。 だって。時計の針は律義に進んでいて、もうあと少しであたしは二十歳になるのに。 なのになんで今、こんなに気持ちが乱されてるんだろう?――好きなのに。紗耶香と、一緒にいられるのに。 「もう……いいよ。もう、知らないよ。紗耶香なんか」 あたしの手は紗耶香に届くことのないままで、それがどうしようもなく、寂しい。 ――祝ってほしかった。何を望んだ訳でもないけど。 今夜、一緒に過ごす約束をした。それだけで、きっと十分だった。 なんで怒ったりしてしまったんだろう。自分が傷つくことなんて、なんでもないのに。紗耶香が落ち込むのに比べたら全然。 それは365日、いつだって変わらない。 「……だって。ヤなんだ……」 消え入りそうな声が届いて、あたしは俯いていた顔を上げる。いつのまにかこっちに向き直っていた紗耶香が、視線を伏せた。 「圭ちゃんが、ハタチになるの……あたし、あたしね、嬉しくないかもしんないから……『おめでとう』とか言えない、って」 気まずそうに言葉を紡ぎながら、それでも、紗耶香の指はあたしの服の袖を辿って、きゅっ、と握った。 「ごめん。……ほんと、ごめん……。すっごい、自分勝手なんだけど。あたし……圭ちゃんがハタチになるの、ヤだ……」 頭の中が、真っ白になる。 紗耶香の、思いがけない言葉。本当に。『誕生日おめでとう』なんて、ただの通り一遍の挨拶なのに、とか。 あたしの腕を引き寄せて、そこに顔を埋めるように伏せてる仕草も、なんかもう、どうにも愛しくて。 「……なんで?」 柔らかく問うあたしに、紗耶香は不満気に視線を上げた。至近距離で、やっと見つめ合う。 「だって、んとね……あたしが、十六歳じゃん?まだ。で、今までは圭ちゃんが十九歳で、なんか、それがちょうどいいっつーか……」 「……」 「でもさ、圭ちゃんがハタチになっちゃったら、なんか違うじゃん……十六歳とハタチってさ、すごい差がある感じがして、で……だから……」 無言になってしまっているあたしを責めないでほしいな。なんとなく。 呆れたとは言わないけど、可愛いとも思うけど。でも。 「――バカ。しょーがないじゃん、それって」 手加減なしの感想に、紗耶香が素直にむくれた。あたしの手を掴んだまま、ぼすぼすとクッションに八つ当たりをする。……痛い。 「しょーがないけどさぁ!ヤだったんだもん!置いてかれる感じがして、すごいヤだったの!圭ちゃんには分かんないよっ!」 「……分かんないよ、そんなの」 もう片方の手で頬杖をついて、何をか言わんや、ぐらいの気持ちで。あたしはようやく、少し笑う。 ひとしきり暴れると気が済んだようで、紗耶香は大きな溜息をひとつついてからおとなしくなった。 「今、何時?」 不意に紗耶香に尋ねられて、あたしは少し身体を起こしてベッドサイドの時計に目をやった。 「11時、47分」 「うわ、あとちょっとだよ。どうすんの」 そんな呑気な言葉に、ふっと考えが渦巻いた。ぐるぐる回る。残り十数分の、あたしの十九歳の時間。 「……いーや、もう。このまま、いて」 ぱたり、と頭だけソファに沈める。相変わらずあたしは床に座り込んだまま。 袖を掴んでいる手を一度ほどかせて、あたしからその手を握った。 「出来れば。日付が変わる瞬間に、『おめでとう』とか言って」 ささやかな願いを、こっそりと呟く。 「大丈夫。なんかね、ちゃんと、そういう気持ちになってきた。あたし」 紗耶香の、何故か楽しげな声を、目を閉じて聞いていた。 「だってさぁ、あたしもすぐ十七歳になるんだもんね?」 ――あぁ、そうだよ。あんた忘れてたの?いつも、一ヶ月もしないで、また三歳差になるんだよ。ねぇ。 それは、変わらないまま。それでも、あたしも紗耶香も変わらずにいられない、そんな年齢。 例えば。 「今年は。紗耶香の誕生日は、祝ってあげられないな。当日」 去年とおととしと、同じ仕事。今年も決まっている。有り難いことに。 でも。だから、一緒にいられない。 「そっか。そーだね……なんか、寂しいなぁ」 紗耶香がひとつ選んで決めた、そのことが全てを変えてゆく。 そばに、いたい。あたしの方が願ってる。ずっと。 もうそろそろ十二時になるんじゃないかな、と。時計を確認しようとしたら、紗耶香に押しとどめられた。 「圭ちゃんは、時計見ちゃだめ」 「なんでさ?」 「いーからっ。あたしが教えてあげるよ、十二時になった瞬間に『おめでとう』って言ってあげる」 身を乗り出してる紗耶香に頭を軽く撫でられて、おかしな気分だ。もちろん全然嫌じゃないから、おとなしく従うけど。 「ねー、この時計合ってるの?」 「だいたい。でも、ぴったりじゃないけど」 「まぁ、いーか。しょうがないよね」 「うん。……ねぇ、まだ?今何分?」 「まーだ、もうちょっと。へへ、気になる?気になる?」 「うぁー、けっこうイライラするよ、コレ」 黙ったままでいると、秒針の音がやたら耳につく。 なんだろう、ドキドキする。思惑通りだとしたら悔しいんだけど。紗耶香の体温が微妙に伝わってくるのも落ち着かなくて、目を閉じていた。 「……よん、さん、にぃ」 不意に始まるカウントダウンに、意識がたちまち、そっちに向かう。 「圭ちゃん、二十歳の誕生日おめでとー!」 耳元に降りかかる、弾んだ声。目を開けたら、楽しげな笑顔。 ――ありがとう、と。言葉を返そうとしたらそれより少しだけ先に、紗耶香の唇が頬にふれた。 |