The grade separation



「明日香!あれー?明日香?……なん、待ちーや。帰るの?」

「うん」

「今、クルマ回してもらうから、乗ってったらええやん」

「あ、ほんとに?じゃあ、そうする。お言葉に甘えて」



『甘える』なんて、随分と似つかわしくない言葉だと思った。

久しぶりに会ったけれど、その辺の印象はまるで変わらない。明日香は、いい意味で相変わらず明日香のまま。

「裕ちゃんも、もう帰るの?」

薄暗い壁に凭れて、視線だけであたしを伺う。身長の差から必然的に上目遣いになっても、子供じみた雰囲気は微塵も感じさせない。

「そう。さっさと帰って寝る。明日大阪やし」

あたしも隣に並んで、冷たい壁に背中を預ける。時折スタッフが行き交う、楽屋の関係者入口。

「明日は、でも裕ちゃん、お客さんじゃなくてゲストなんでしょ?」

「ま、一応は出演者の扱いになってるんかなー」

耳の奥には、まだライヴの歓声が残ってる。みっちゃん――平家みちよの、ハロプロ卒業コンサート・東京公演。

それだけで胸がいっぱいの今夜、こうして明日香と話が出来るのはすごく嬉しい。懐かしくて、そしてとても慕わしい。

あたしもみっちゃんも明日香も、言うたら同期で、戦友で。今あらためて考えると、どんな混沌としたオーディションやねんって話だけども。

安倍なつみと、飯田圭織と、石黒彩も。ふとした瞬間に立ち返る、等しく並べる一本のライン。

「……カッコ良かったなぁ」

ぽつりと零す言葉には、明日香のどれだけの思いが込められているのだろう。その全てに同意する気持ちで、そっと頷く。

「みっちゃんやからな」

呟いた端から溢れそうな誇らしさは何故だろう。まだ泣き足りないらしいあたしは、それでも軽く目頭を押さえた。



「明日香は――あれ?今、幾つになってん?」

乗り込んだ車の後部座席で、はた、と素朴な疑問に引っ掛かる。何それ、と明日香は苦笑した。

「親戚のおばちゃんじゃないんだから」

「うっさい!」

条件反射で言い返しながら、けれどもあたしは、その『親戚のおばちゃん』の気持ちも分からないでもない、と思っていた。

明日香があんまりにも出来上がっている子供だったから、自分の時間の流れと照らし合わせるのが難しい。

「えーとね、今度の誕生日で18歳。娘。だったら、ほら、石川梨華ちゃんと同い年だよ」

「あぁ?そうなん?……そうかぁー」

はー、とあたしは我ながら間の抜けた声を漏らす。そのぐらい、思いがけず衝撃の新事実。明日香と石川が同い年。

これはまた、結びつかない。あたしの中で。例えば二人が同じ写真に収まる構図を、上手くイメージすることが出来なかった。

どちらが大人っぽいとか子供っぽいとかいうことではなくて。ただ。

それが、同じ時間を共に過ごすということ、その偶然がもたらす冷たいほどの排他性なのだと思う。



車中では、当たり障りの無い会話に終始した。

とくに話題を選んだつもりもなく。というか、今の明日香にとって、当たったり障ったりする話題が何なのかの方が見当つかない。

ひとつだけ、自分でも殆ど無意識に避けていた単語があったような気もするけれど。



この気持ちは、なんだろう。

はしゃいでいる。今のあたしを、見る人が見ればすぐに分かる。なのに。

心地良く、家に辿り着くまでの渋滞が苦にならない――そんな愛しい時間を過ごしているのに。

不意に窓を開けて、流れ込む風に目を閉じる。文字通り、空気を入れ換えるための行動。

明日香は何も言わず、薄く微笑む。明日香はすごく優しく笑う。緩やかに。平らかに。



明日香といると、あたしはいつも、寂しい。



違う種類の人間だとか、そういう言い方をしてもきっと否定もされないと思う。

出逢う筈もなく、何かを共有するなんて可能性はゼロどころかマイナスに近い存在なんだと、何故だか最初から感じてた。

今、こうして同じ車に揺られていても。

――台風の高波に攫われて、一匹の魚が浜辺に打ち上げられたとして。その魚は、砂地に咲く花を見る。そんな邂逅。

魚は波を待つ。戻らなければ生き長らえない。けれども、その迎えの飛沫はいずれ花を枯らす。相容れない魂の話。

気づいてしまえば、違和感は寂しさに直結する。そう遠くないうちに離れることを知っているから。

そして実際、明日香はあたしと道を違えた。



「寒くない?」

「あぁ。ゴメン」

「いいけど、裕ちゃんの方が寒そうだよ」

「……うん。寒いな。閉めるわ」



いつも、寂しい。

また会えるから、という言葉を明日香じゃなく自分のために繰り返す。

繋いだ糸を切るのが嫌だった。子供が何かを強請るように、それを口にするのはいつだってあたしの方。

車が明日香の家の前に止まろうとしてる、今夜も。



『お疲れ』と『おやすみ』を交わして、明日香がドアを開けて降り立つ。

街頭の下で、ちょこんと向き直った姿はとても小さい。18歳。大人でも子供でもない。

「じゃあね。明日、頑張って」

「ん。――また、な」

あたしの視線をまっすぐ受け止めて、明日香は僅かに口元を引き締めた。

軽く結ばれて、それから開いた唇が紡いだ言葉は。



「ありがとう」



帰りの足代にしては、やけに重たい響き。その真意を量りかねて身を乗り出すあたしに、明日香は笑う。

「いつも、そうやって言ってくれる。『またなー』とか、『また来ぃや』って」

それは、自分たちの、或いは他のアーティストさんのコンサートの楽屋で。

意識的に口にしていた。悟られていた。反射的に指先が髪をかきあげる。照れたときの癖だって、それもバレてる。

「そんなん……なぁ。せやって。会いたいねんもん、仕方ありません」

「うん。だから、ありがとう。裕ちゃんが言ってくれるから、あたしは普通に、言わないでいいんだ」

悪戯っぽく喋る明日香の声が、夜の空気に白く霞む。

「ズルイわ、自分。えぇけど、何回でも言うし。また――」

「また会おうね、裕ちゃん。じゃあね」

……今。確かめる間もなく、ひらり、と鮮やかな仕草で明日香の手が振れる。

台詞も視線も奪われたあたしを一秒置いて、車のドアが柔らかく閉まる。

尚も手を振る明日香に、ようやく微笑み返して手を翳した。

ほどなく向こうへと歩き出すのを見送る。もう少し。あの角を曲がるまで。



深い海で躍る日々に、その姿を忘れないように。