One day to ・・・
| ――おはよう、やすちゃん、朝ですよ? 今日は、一緒にDVD見るって約束したでしょう? なのに、ドアを開けた相手は眠たげな様子を隠さずに。 部屋の中に入れてくれたはいいけど、ふらふらとベッドに倒れ込んでしまう。 「……悪いんだけど、あとちょっとだけ寝かせて」 毛布に包まりながら言われたら、遮る術もありません。 ちょっと周りを見回せば、理由はすぐに見当つくし。 「ねぇ、また飲んでたの?それで二日酔い?ダメだよ、一応アイドルなんだから」 一応、の部分に力を入れて繰り返そうとしたあたしを、げんなりとした眼差しが見上げる。 「うるさい。つーか、今何時よ」 「えーっと。10時……15分前」 言い淀んだのは、ちょっと早かったかなって自覚があったせいで。 案の定、保田さんは一瞬だけ眉を顰めて、それから呆れたように遠くを見つめる。 「来るの早過ぎ……」 そのまま閉じてしまう瞼が、深刻な寝不足を訴えてる。寝かせてあげるべき、らしい。 ベッドに凭れる場所に腰を下ろして、あたしはほんの少し手持ち無沙汰。 「別に二日酔いってわけじゃなくてさ、矢口が帰ったのがもう明け方近かったんだよね」 すっかり寝入ったものだと思っていたら、何やら呟くのが聞こえて驚いた。 「あれ、まりっぺ来てたの?」 そう、と背中を向けたままで答えが返される。5時過ぎ……もう6時近かったんじゃないか?と、不明瞭な声で。 「じゃ、ついさっきまでいたんじゃん!え、泊まってくって言わなかったんだ」 「んー、なんか出掛けるとか言って、必死んなって帰ってった」 よれよれになりながらタクシーに乗り込む、ちっちゃな二十歳が目に浮かぶ。ここでメンバーとすれ違うなんて、なんだか不思議な気分。 テーブルの上には当然そんな形跡ないから、言われなければ気づきようもないし。 って。物思いに耽って会話を途切らせたのは失敗だったかな。起きてるのか寝てるのか判らなくなっちゃった。 「……やすちゃーん」 そっと呼びかけてみても、今度は返事がない。 丸まった背中を見つめて30秒、諦めて正面に向き直って30秒。 自分の手と爪、指輪、視線を落としてスカートの膝から裾、靴下はピンクのアーガイル。 うん、と一息ついてから立ち上がる。下ろしたバッグをもう一度肩に掛けて、なんとなく姿見に目をやって。 「コンビニで何かお菓子買ってくるね」 言い置いて玄関に向かおうとした、その途端に後ろから声がかかる。 「いいよ、後で」 「わ、起きてる」 二度目の不意打ちに、さすがに驚きが口をついて出た。 ゆっくりと寝返りを打って毛布から顔を覗かせて、懸命に瞼を持ち上げているのが見て取れる。 「あたし、どうせ後で朝御飯買いに行くからさ」 そっけない言葉。力尽きたのか、枕に顔が沈む。 どうしたものか棒立ちになったあたしに、親切な追い討ち。 「そのとき、一緒に行って」 消え入りそうな、眠りと覚醒の狭間。 そんな、いつになく素直な甘え方されても困るんですけど。 さっきと同じ位置に腰を落ち着けて、けれども今度は抜かりなく、手元に雑誌を確保してある。 ぱらぱらとページを眺めるだけで、多少は時間を潰せそう。ありふれた情報誌が、こんなときは頼もしい味方。 「あ、この服可愛い……」 「いいなぁ、ディズニーランド行きたいな」 「あれ?この曲もうCD出てるんだ」 「わー、美味しそう……」 とりとめない独り言に返事はなくても平気だし、あってももう驚かない。 そんな心構えで、幾らか時間が過ぎる。穏やかな休日。 映画情報のページで、ふっと手が止まる。 「やだ、これ今週で上映終わりなの?」 見たかった洋画をすっかり忘れていたことに気づいた。前作が面白かったから楽しみにしてたのに。 と。 「……どれよ」 気怠い反応があったから、あたしは振り返って雑誌を指し示す。自然に。 保田さんは眉を顰めて、記事に顔を寄せた。 「あぁ。金曜までじゃん、大丈夫でしょ」 その言葉と、視線。それは。 「ひょっとして、連れてってくれるんですか?」 期待を込めて見つめ返したら、そっけなく逸らされたけれど。 「そっちの時間が空いてるならね。っていうか……誰も、奢るとは一言も」 ぼそぼそと呟く声は、寝ぼけてるわけじゃないんだよね? それをきちんと知ってるあたしは、だから、手帳にメモするのを後回しにしておく。 完全に目が覚めるのを待ってから、時間とか場所とか細かいこと決めましょうね。 あぁ。なんだか。 「いいですねぇ、この感じ」 相変わらず起きる様子の見られない保田さんに背中を向けたまま、うっとりと呟く。 今朝、あたしが目覚めたのは8時過ぎだった。前の日に普通に10時近くまで仕事した、その翌日にしては有り得ないくらいの早起き。 どうにも目が冴えてしまって、ものすごく魅力的なはずの二度寝をし損ねて。 「お休みの日のデート、こういうのもアリですよね」 あいにくと、そういった経験は持ち合わせていないのだけど。それでも、淡く描いていた憧れの形と、そんなにかけ離れたものでもないような気がする。 「なんだっけ。えぇと、ほら、あの……休日は急いで、あなたに会う為お化粧して♪みたいな」 何気なく口ずさんだのは、最近出したシングルのカップリング曲。キラキラと恋してる気持ちを歌った『宝石箱』。 ――家の前の坂道 息切らしながら駆け上がると あなたに会える♪ 胸の前で両手を組んで、思わず熱唱してしまう。高音が掠れていっぱいいっぱいなのはご愛嬌ってことで。 ――You 恋してる その輝きは You 美しき ダイアモンド…… がばっ、と背後で思い切りよく起き上がる気配がした。慌てて振り向いたら、上半身を起こした保田さんが、何とも言えない表情で佇んでいる。 「……目ぇ覚めた」 ぼそっと呟いたと思ったら、さっさとベッドから抜け出して、タオルを片手に洗面所へ向かって行った。 その行動の意味を理解したあたしは、逃げていく背中に抗議の声を上げる。 「な、ちょっと、ヒドイですよぉ!寝ててください!石川が、子守唄をね、歌ってあげますってば!」 「無理無理、絶対無理」 既に姿の見えない相手の、寝起きのせいかテンション低めの返事が冷たい。……なによぉ。挫けるもんか。 顔を洗ってるっぽい音を聞いてて、ふと、いいことを思いついた。 キッチンまで歩いて行って、洗面所に向かって声をかける。 「やすちゃーん。何か、朝ゴハン作ってあげましょうかー?」 ほら、さっき、コンビニに買いに行かなきゃとか言ってたし。あたし、これでも最近、料理の腕上がったかなーって感じだしっ。 あー、とか、うー、とかハッキリしない返事を聞きながら、冷蔵庫を開けて。……そして、もう一度洗面所に向かって声をかけた。 「やすちゃーん。ごめんなさい、やっぱり作れませーん」 そんなことだろうとは思ってたけど、予想以上にガラガラな冷蔵庫の中を眺めてから、ぱたり、と静かに閉じた。 缶ビールだのワインだのばっかり充実してて、食材の類が全く見つからない。これじゃ、オムレツの一つも作れないよ……。 ちょっとがっかりしたあたしの元へ、タオルで顔を拭きながら、保田さんが戻ってきた。 「なんも無いっしょ?」 けろっとした口調。いえ、そりゃあね、別に悪いとは言いませんけど。 「無さすぎです」 情けない視線で訴えたら、オトナの言い訳を返された。 「だってさぁ、ツアーに出るのに、買い置きしといてもしょーがないじゃん」 軽く、笑う。……そう。それが言い訳なのは知ってる。ツアー前じゃなくても、冷蔵庫の中身はいつだって大差ない。 けれども、それ以上何も言えなかった。春のコンサートツアーが始まっている。この部屋さえ、それを意識した環境になってる。 だから、もう。その先に向かって行く以外に出来ないの。ずっと前に決まったこと。緩やかに、それでいて絶対的に流れている時間。 空っぽの冷蔵庫から料理を作ってみせるようなこと、あたしには、出来ない。 「あれ?外、もしかして雨降ってる?」 保田さんが、初めて気が付いたように、カーテンの隙間から外を覗いた。 薄く差す明かりに、横顔の輪郭が浮かび上がる。フレームの無い眼鏡越し、遠くを見つめる瞳。 「……来るときは、まだ降ってなかったですけど」 そっと隣に寄り添って、窓の向こうを眺めた。煙るような霧雨。細かな水滴にガラスの表面が滲む。 特に何が見えるわけでもないのに、二人でしばらく立ち尽くしていた。窓際は寒いぐらいなのに。触れた指先も、悲しいほど冷たかったのに。 「石川」 呼ばれる声に顔を上げても、保田さんはその先を言い淀む。やっぱいいや、と言葉を濁して踵を返されて、迷わずにその腕を掴んだ。 「なんですか。気になるじゃないですか」 「……んな、大したことじゃないからさ」 「大したことじゃないんだったら、言ってください」 譲らないあたしに、向けられるのは困惑した眼差し。自分でも、どうしてこんなに必死になったのか分からない。 それでも、言って欲しい、と思った。あたしのためじゃなく、たぶん保田さんのために。 保田さんは溜息をつくと、勢いよくベッドに腰を下ろして天を仰いだ。何か、観念した表情で。 「さっきみたいな、さぁ。あのー。なんだ。デートみたいとか言ってたじゃんよ」 枕代わりのクッションを抱えて、部屋の主なのに身の置き所がないみたいに落ち着かなくしてる様子を、あたしは立ったまま見つめてる。 「あーいうの、他の人のとこでも言うのかなーっつーか。あんま、余所で言って欲しくないなーっていうかさ。よく分かんないや。ゴメン」 力なく投げ出されたクッションと、俯く頭。ふ、って薄く笑ってるのだけが伝わる。 心臓の音が身体の内側に響いて、クラクラする。 自分のじゃないみたいに感覚の無い手を強く握って、その反響を聴く。 照れてるとか恥ずかしいとかそんなんじゃない。――これは、怖いの。 戻れないところに踏み出そうとしてる感じ。そうするのが正しいのかさえ判別できないままに。 ねぇ。保田さん。 「……それは、なんで?」 泣き出しそうな声だと、他人事のように思った。 顔を上げた保田さんと、視線が交わる。そこに見えるのも不安や畏怖で、なのに何処か純度の高い子供の瞳をして。 「石川のこと、好きだから」 7文字。5文字。順番に、綺麗に届く。あたしの耳に、頭に、心に。 予感、当たってたんだ。ぼんやりと、思う。 あたしのためじゃなく、保田さんのため。言って欲しかった。言わせてしまった。きっと押し隠そうとしていた気持ち。 抱えたまま離れてしまうより、少しでも楽にしてあげられるのなら。そんな、思い上がりに似た我侭。 そうして、その気持ちをただ受け止めて――動けなくなる。 保田さんが目を伏せて、髪を無造作にかき上げた。緩やかなウェーブの黒髪が目に痛い。 立ち上がって横を擦り抜けて行くのを追えない。空になったベッドを見つめて、背中で気配だけを伺う。 探し物をしてるのかな。テーブルの上に何か置いた。小さく音を立てたのはキーホルダー?今、掛けてあった上着を羽織った? 足がじりじりするよ。振り向きたいって言ってる。瞳だって、壁ばっかり見ててもつまんないって騒いでる。 あぁ、部屋から玄関に行ったんだ。靴を履いて、とんとん、と爪先で地面を叩く音。どうしよう。遠いよ。 ねぇ、知らないでしょう?あたしの中にも、こんなに、あるんだよ?こんなに、全身で、慕わしくて仕方ないんだよ? 保田さんがきっと欲しがるもの、あたしの中に、ちゃんと、あるよ? 「石川ー」 ちゃんと、欲しがってよ。じゃないと、あげられない。 「石川ぁ。コンビニ行くぞー」 大人の我慢なんかしないで。もっと思い上がって。どうか、気づいて。 「一緒に行ってくんないの?石川ってばー」 弾かれたように玄関まで駆け出した。迷いを振り切れば、たったの5歩。 パーカーに部屋着のジャージ、眼鏡のままの保田さんが、一段低い場所からこっちを見てる。 「行こう?」 目を細めて笑う、その表情が見えなくなる。 「好きです……」 ずるいね。優しいね。一度も、強引に言わせようとしなかったね。 聞きたかったくせに。そうでしょう?泣き出したあたしを気遣ってくれる、その手の温かさで分かっちゃうよ。 うん。大丈夫。安心したら泣けてきちゃったの、変だよね。 やっと言えたって気持ちと、きっともう何も失わないでいいんだ、っていう気持ち。 石川は、欲張りだから。忘れるのも、忘れられるのも、嫌なんです。 今日が消えない思い出になって、いつでもそれを思い出せば、二人が何処にいても同じ気持ちに戻れるでしょう? 欲しかったのは、そういう、確かな一日。――そんな願いを、後でゆっくり話すから、いつもみたいに包み込む眼差しで聞いていてくださいね。 |