Dream or Actual
| なっちに会いに行く。 仕事が早く終わったからなっちに会いに行く。 なっちの方は今日オフだって言ってたから。 『うちでゴハン食べよ?』ってメールもらったから、急ぎ足で駆けて行く。 チャイムを鳴らしてドアが開けば、笑顔のなっちがそこにいる。 いらっしゃい、と迎え入れてくれた後で、なっちはすぐに身を翻してキッチンに向かってしまった。 ぱたぱたと去って行く後ろ姿と、しばらく何やら慌しい物音。 「ごめんねー、お鍋かけっぱなしだったんだ」 てへ、って笑いながら戻ってきたなっちをあらためて見つめると、赤いチェックのエプロン姿。 「だいじょぶなのー?」 「うん、もう平気。そろそろごっつぁん来る時間だなーと思って、温め直してたとこ」 交わす会話も。……なんつーか、完璧? 一分の隙も無いほどに、甘やかで優しくてシアワセになれる。 お土産のケーキの箱を渡したら、なっちは子供みたいに目を輝かせた。 なっちが夕食の仕上げをしてる間、あたしはぼんやりと部屋の中を眺めていた。 手伝おうとしたんだけど、やんわりと却下された感じ。そういうのも悪くないから、こっちでおとなしく待ってる。 ぺたりと床に座り込んで、手近にあったクッションを抱える。ふかふかと顔が沈み込む、水色の生地。なっちの匂い。 キッチンから、フライを揚げる音がしてる。たぶん得意料理のコロッケと、あたしがリクエストしたエビフライ。 誰に憚ることなくラブラブだ。当たり前みたいにそこに掛かってる、自分のジャケットを見上げて思う。 なっちがメールをくれたこと。あたしのスケジュールを気に留めてくれてたこと。 あたしの方でも、なっちのスケジュールをちゃんと知ってたってこと。――だからさ。 「ごっつぁーん、もうすぐ出来るからねー?」 「はーい。もうねぇ、お腹ぺこぺこだよー」 えいや、と背筋を伸ばして立ち上がる。お皿を運ぶぐらいさせてほしいからね、やっぱり。 あつあつ、さくさく。外はカリカリ、中はナントカってキャッチフレーズじゃないけど、揚げたては絶品。 「美味しいねぇ」 しみじみと呟いたら、なっちはくすぐったそうに笑った。 野菜がいっぱい入ってるスープも美味しい。まず、ほかほかの白いゴハンが美味しい。なっちと食べる夕飯は格別。 「ホントはね、和食の方がいつも作ってるし得意なんだけど」 ……さりげないアピールも、なんかもう、一つ残らずいただきますって感じだ。ゆっくりと満ち満ちてゆく、身体中に。 食べ終えて、しばらく動けなくて、でも食器は片さないと汚れが落ちにくくなるんだよなぁと思って。 とりあえず浸けとけばいいよ?って言葉に甘えて、簡単に済ませてそそくさと戻る。 暖かい空気のまま、さっきと同じになっちの隣に座った。 「ありがとねー」 「ん、全然。後でちゃんと洗ってくから」 その辺きちっとしてたいあたしも、似た者同士と言えなくもないんだ。きっと。 肩が触れるぐらい寄り添って、お互いちょっとずつ喋り出す。よく楽屋でしてたような、他愛のない話。 身に付けてるものから、最近こんな仕事したとか、メンバーのこと、こないだテレビ見たよーとか。 そういえば、テレビは点けてない。……だって目の前になっちがいるから、とまでは言わないにしても。 夕方のニュースの時間だったから、ってのもあるかな。ほとんど興味もないし、あんまり積極的に見る気にならない。 これが日曜日だったりしたら、なっちが『ちびまる子ちゃん』見たいって言い出したりするのかもしれないけど。 「――でもね。いいねぇ、ごっつぁん。どうだい?17歳は」 小首を傾げて、なっちがあたしに視線を向ける。メンバーの誕生日の話。秋から冬は多いんだよねって、そういう流れで。 「んー……でもなんか、別にそんなに変わんない。けど、やっぱ16歳から17歳っていうと大きいかなぁ」 「ね、それ大きいっしょ。なっちはやっぱり特別だなー、17歳ってね、響きが好き」 妙にうっとりと語るなっちを、そのときは違和感なく見てた。前にもそんなこと言ってたなぁなんて。膝を抱えてる姿勢が似合うなぁ、なんて。 「なっつあんは、17歳のときってもう娘。だったんだっけ」 頼りない記憶を溯る。初めて逢ったときは後藤がまだ誕生日前で13歳で、ってことは、えーっと。 「そうだよ。デビューしたのが16歳だもん。……そう」 そこで、なっちが黙り込んだ。あたしは同じように思い出してるんだと思って、その沈黙を受け止めた。 だとしたら、なっちはあたしより2年ぶんぐらい多めに振り返ることになるんだし。 ……2年分の沈黙が、予想外に長い。 あたしは脚を投げ出して、膝の上のクッションをぽすぽすと弄ぶ。 なんでもないことなのに、タイミングを計りかねて会話のきっかけが見つけられないでいた。 ちらりとなっちを伺うと、さっきより少し俯き気味。どうしようかと思った瞬間、ぽつりと零された呟き。 「なっちにとって、17歳はほんとに特別だった」 声色の重さに、思わず目が離せなくなる。ほとんど同時に、なっちがあたしの方を振り仰いだ。 ふふ、と口元で優しく笑む表情は、少なくともいつもと同じように見えたけれど。 「すごく、すごーく、いろんなことがあった。なっちね、17歳のなっちが、今でも時々羨ましくなるんだ」 夢見る瞳は、どこか遠い。あたしを見てない。それだけ、分かる。 「好きな人が、いつも隣にいてくれるなんてさ、いいよね」 ……うん。それは、そうだよ。あたしは今、そう思ってる。 『今』のなっちは、そうじゃないってことかな。なんで。 「あの頃は、明日香がいてくれたから」 ふわり、と。 唐突に、それでいて極めて自然に、この空間に紛れ込んだ名前。 「知ってるよね?明日香って」 頷く以外、何も出来ない。だって、知ってる。明日香さん。福田明日香さん。会ったこともあるよ。コンサートの楽屋で何度か。 「なっちねぇ、ほんとにほんとに、明日香のことが好きだったの」 繰り返される言葉より、その眼差し、微かに細められて愛しいのと切ないのと綯交ぜの瞳が、何より『本当』のことなんだと主張してる。 にもかかわらず往生際の悪いあたしは、その語尾が過去形なことだけを確かめて余裕を保とうとしてる。 好きだった、人。――よくあることだよ。こうして話してくれるってことはさ、そういう思い出ごと好きになればいいんだって。 錯綜しすぎて余計に落ち着いてしまうあたしの表情は、けれども今、なっちに対して意味があるのかどうかも疑わしい。 「自分でも不思議なくらい、どうして明日香なんだろう、なんで明日香じゃなくちゃダメなんだろうって、ずっと思ってる」 「17歳のなっちには、いつも隣に明日香がいてくれて、それだけで今じゃ信じられないぐらい幸せだったんだなぁって」 「でも、明日香が娘。を辞めるって言い出したのも、その頃だった」 「なっちね、わけ分からなくて。全然。何が起きたのか分からなくって……今でもよく分かってないのかも。おかしいね」 「あのね?ほら、時々さぁ、これ夢なのかなって思うじゃない。普通の、現実にそっくりな夢見たりしてさ。そういうことってない?」 「だから、……ごめんね?なっち、今のこれが夢だったらどうなんだろうとか……思ったりするよ」 「本気じゃないんだけど。きっと。今の自分も好きだし、今のみんな大好きだし、でもね」 「明日香が辞めるって言い出した日からが、ずっとずっと夢で」 「そういう……明日香が辞めて、ごっつぁんが入ってきて、いろいろ……みんなに会って、裕ちゃんが辞めたりとか」 「それが全部、そういう長い夢で、ある日突然、ふっと目が覚めたりするのかなって」 「やー、なんかねぇ。ほんとにおかしいこと言ってる」 「でもさ、そうやって目が覚めたら、17歳の自分がいて。したら絶対、なっちは明日香に話すのね、これこれこういう夢を見たよーって」 「すごい笑われる、絶対。『何言ってんの?』って、『もう、ホントにしょーがないな、キミは』とかって、明日香は――」 最後にもう一度、ごめんね、となっちは呟いた。 首を振る余力も無いあたしは、顔を伏せたまま動かない。水色のクッションは相変わらずなっちの匂い。 隣にいるよ。肩が触れてる。――その人が、ある日突然ふっと目が覚めて、ひとつの夢が弾けて消える。 出逢ったことも話したことも、今まで過ごした全部の時間を、そうして手放してしまえるんだって。 それぐらいに想える相手と、あたしよりずっと前に出逢ってしまっていたんだって。 「ごっつぁんが、……今はもう呆れちゃってるかもしれないけど、でも、なっちのことをね、好きって言ってくれたでしょ?」 こんなときに。そんなことを。そんな照れたような口調で言うのはズルイよ。 「なっちね、すごく嬉しくて、だからちゃんと言わなきゃいけないと思ったんだ」 嬉しいなんて。そんなのズルイよ。 「なっちも、ごっつぁんが好きだよ。それは、本当。もし、これで嫌われちゃっても、そしたら仕方ないけど」 優しい声。可愛い。遠い。 「ごめんね……」 謝らないで。 仕方ないのは、なっちが言わなきゃいけないと思ってしまったこと。 なっちがそれを決めたこと。その時点で、言われる側の都合は問題の範疇外になること。 聞きたくないかもしれない、そんな可能性。そうして実際、聞きたくなかったの一言が言えないあたし。 好きだから。好きになってしまっていたから。 ここから立ち上がって出て行くことが、もう出来ない。 ――ねぇ。裕ちゃんとか圭ちゃんとか、やぐっちゃんもなのかな。なっちのそういうとこ知ってて、ずっと守ってるんだね。 許し続けてるんだ、ね。 肩が、触れてる。 たとえば今、なっちにキスをしたとして。その唇があたしのものだって、伝えられる自信がない。 顔を上げて視線を重ねても、その瞳にあたしが映るかどうかさえ不安。 動けないよ。なっち。 どうにかしてあたしを、ほんのちょっとでいいから強く居させて。 肩が、離れた。 遠ざかる足音はキッチンへ続く。 カチャリ、と――それから水周りの音、コンロの火を点ける音。 あぁ。そうだったね。 ミルクもレモンも、お砂糖も要らない。ただ熱くて、まっすぐに薫る紅茶なら嬉しい。 箱を開ける瞬間の表情が見たいから、あたしはきっと立ち上がれる。 なっちの好きな、いちごタルトだよ。 一緒に食べよう。 |