Damage control
| 野外のライヴは何度も経験してきたけど、今年の夏はハンパじゃない。 いろんなことが一度に起きて、いっぱいいっぱいの身体。暑さの壁にマトモにぶち当たって、弾き飛ばされてしまった。 キツイ。ツライ。けれども、悔しい。その気持ちだけで、昼の部のラストで倒れた日も、点滴打ってもらって夜の部には戻ってきた。 だって、ごっつぁんと一緒のステージ、あと何公演残ってる?……数えられるほどしかない。だから。 自分より後に入ってきた子が抜けるのは初めてだ。どうしたらいいのか、心の持って行き方が、ほんとは今も分からない。 後悔することのないように、それだけを強く願って、9月23日までを大切に過ごそうと決めた。 それに。圭ちゃん――かけがえのない同期メンバーの、来春の卒業も告げられて。 今回のツアー中にさえ、どうしても立っていられない状態になったとき、圭ちゃんに肩を預けて歌ったのに。 そうやって支えてくれる存在を半年後に失うんだと思ったら、余計に悲しくてどうしようもなくなった。 モーニング娘。は、止まらない。何が起きても誰が欠けても、いつだってみんながそうしてきたように。 ただ、前を見て夢を見て――手を伸ばして、こうありたいと望む自分を抱きしめて、渾身の力で地を蹴って翔ける。 目が覚めたら、病院でもホテルのベッドでもなく、自分の部屋だった。 馴染んだ匂いの枕に頬を摺り寄せてから、サイドテーブルの時計を見る。……PM9:26。 中途半端な時刻なのは、珍しく仕事が夕方で終わったせいだ。地方遠征が途切れて、今日と明日は都内での撮影。 どんなビジネスマンにも負けないスケジュールの中、久々に帰り着いた家で、あたしは取るものもとりあえず眠りに落ちたんだった。 うーん、と思いっきり伸びをしてから起き上がる。部屋の明かりを点けて、まず気が付いたのは、とてもお腹が空いているということ。 どうしようかな。鏡に映った部屋着姿の自分を見ながら考える。とりあえず、ごはん食べてこよっかなぁ。シャワーでさっぱりしてこようかな。 けれども、ぽすん、とベッドに腰掛けてしまう。足をぱたぱたさせて、どうにも落ち着かない感じを振り払おうとした。 嫌な夢を、見ていた気がする。何かを失ってしまうような。……ごっつぁんや圭ちゃんの、直接的なこととは別に。 漠然とした不安はなんだろう。拭い切れない疲れや、擦り減ってる心はどうしたらいいんだろう。 こんなとき。ゆらり、と後ろに傾いで、仰向けでベッドに倒れ込む。背もたれになる場所がないんだ。ちょうど、今みたいに。 メンバーは同じ思いを共有しているけれど、仕事場に行けば、もう矢口は支える側になる。辻加護たちのことも、リーダーも、そして。 大好きな相手。今回のことで、いちばんいっぱい話をしたいのに、まだ出来てない。まだ、矢口がこんなに弱くちゃいけないんだ。 きちんと、気持ちの整理をつけて向かうべき場所も定めて、そしたらやっと、「大丈夫だよ」って言ってあげられる――なっちに。 頑張らなくちゃダメなんだ。矢口の元気で、なっちを潤してあげる。なっちは矢口の愛で満たされて、笑っててくれなきゃダメなんだ。 なっちが笑顔でいてくれる限り、娘。は何処へ進んでも迷うことはないよ。矢口は、そう信じてるから。 だから、今夜は一人で乗り切りたいよ。泣いちゃっても苦しくても、明日までは絶対に引き摺るもんか。 そのとき、部屋の何処かで携帯の着信音が鳴るのを聴いた。 辺りを見回して、枕元に転がっていたそれを手にする。着メロで、通話じゃなくメールなのは分かった。 液晶に表示された名前は、まさに今あれこれと考えていた相手。以心伝心?なんて、単純にときめく。 なっちからのメール。内容は、今日もお疲れーとか明日も暑そうだねーとか、くたびれたけどなんだか料理がしたくなったんだとか。 『かぼちゃの煮付けがおいし〜くできたから、タッパに入れて明日持ってくね♪』ってさ。 文面だけでニコニコと満足げななっちが見えるようで、あたしはメール返しじゃなく直接電話を掛けることにした。 「もしもし。なっち?」 『あー、矢口ぃ』 「お疲れー。ね、何やってんの?料理?」 『そう、なんかねー時間がもったいなくって。煮物系をね、こう、いろいろと』 「いいなぁ、食べたーい!超食べたい」 『明日ね。かぼちゃの似たのと、肉じゃがと作ったからね。美味しいよぉ』 「マジでー!うわ、超おなか空いてきた。矢口ねーまだ夕飯食べてないんだよ、そういえば」 『あらー、そうなのかい?これ、食べれたらいいのにね。食べさせてあげたいぐらい、ほんと自信作』 「あのさ、……食べに行ってもいい?」 『んん?』 「……や、だから。なっちの作った料理、明日じゃなくて今食べたいなーって……思うじゃん、やっぱ」 『今から?』 「ダメ?ダメだったら全然いい、明日の楽しみに取っとく」 『ううん、ダメじゃないよー。いいよ矢口、じゃあ、おいで?』 いま家だから一時間以上かかるから、と伝えて電話を切った。我ながら、さっきの孤独さ加減はなんだったんだ、と思う。 仕方ない。本当はきっと甘えたいのをただ空腹のせいにして、とにかく急いで仕度を整える。 ざっとシャワーを浴びて髪をセットしてメイクして。タクシーを呼ぼうとしたら、お父さんが運転手を申し出てくれた。 明日着ていくつもりだった服を着て、地方にも持っていった簡単お泊りセットを普段用のバッグに入れる。 準備万端で後部座席に乗り込んで、呑気にしてるお父さんを急かしたりして。 車の中では、ずっと不思議な気分だった。今夜なっちに会えるなんて、さっきまで思ってもいなかったのに。 約束した今となっては、会いたくて我慢できない。一秒でも早く。祈るような気持ちで目を閉じる。 車は夜の街を、道を選んで軽快に走る。矢口の心は、一直線でなっちに向かってる。 何故だか泣き出しそうになって、こつり、と額を窓ガラスに付けた。 「なんだ?真里は、なっちとケンカでもしたのか?」 お父さんの冗談めかした問いかけに、違うよぉ、と苦笑させられる。そうか、って目を細めてる、微妙にズレた優しさが胸に染みた。 「いらっしゃーい、矢口」 ドアを開けたなっちがにっこりと笑ってくれるから、クーラーが効いてるはずの部屋の中なのに、外より暖かいような錯覚に陥る。 「おじゃましまーす!わ、超イイ匂いがするっ」 玄関から続くリビングまで、既に煮物系の美味しそうな匂いが漂ってきてる。空腹を刺激されて、小走りでなっちに付いて行った。 見慣れたテーブルの上に、ほこほこと湯気の立ってるお皿が並んでる。なっちの手料理。見てるだけで幸福になれる光景。 「ゴハンよそってくるから待っててね。矢口が来るっていうから、急いで炊いちゃった」 そんな可愛いことを言ってくれながら、なっちがキッチンに消える。しばらく佇んでいたけど、やっぱり後を追ってしまった。 「ねーねーねーなっち、エプロンは?エプロンしてて欲しかったなー、矢口としては」 「もー、何言ってんの」 困ったように笑う、その肩にじゃれつく。うわ、ってなっちが慌ててお茶碗を置いた。 ホントは、顔見た瞬間から抱き着きたくって仕方なかった。なんだよ、この気持ち。ただ単に好きなんだけどさ。そうなんだけど。 「いいから矢口、あっちで待ってなさーいっ」 お姉さんぶって諭す口調も、ね?って小首を傾げてみせるのも。矢口を安心させるくせに、やけに泣きたくなったりさせるんだよ。 「……ねぇ、なっち」 「なんだい?もぉ、やぐ……」 チューしていい?とも、するよ、とも言えないまま、振り向いたなっちにキスをした。 そんなふうになっちの気持ちを無視するのは初めてで、ヤバいかなって少しだけ怖かった。 目を開けて、最初に見えるなっちの表情はどんなだろう。やっぱちょっと怒ってるかな。恥ずかしがるかな。びっくりしてる? でもさ。だって。 「好きぃ……」 離れた唇から想いが零れてく。とても表情なんて確かめられなくて、目を瞑ったまま、ただ抱きついた。 矢口の両腕の中、ちっぽけな隙間に柔らかななっち。なんなんだよ。矢口の決意は、なんだったんだよ。 ――どうして矢口を、こんなに弱っちくさせるんだよぅ。 見当違いの恨めしさごと拭うような仕草で、なっちがそっと背中を撫でてくれた。 「……矢口」 囁く声が、蕩けそうに甘い。もうダメだよ。ここに辿り着いたので精一杯なのに。ホントはずっとそうだったのに。 「びっくりした。今の」 くふふふ、となっちの吐息が笑う。目を開けて顔を上げたら、ほんのりピンク色に上気したほっぺが見えた。 「あー。えっと。ごめん」 マジごめん、と重ねて謝りながら、とっくに赦されていることを知る。背中に触れる手のひらだけで、それが分かる。 「矢口、コドモみたいな顔してる」 どこか得意気に言われるとやっぱり照れくさいんだけど、そうやって茶化されることさえ心地いい。 「ゴハン、食べよ?ね」 促されるまま、腕を解いた。……それでも離れがたくて、リビングに戻るまで側に付き纏ってた。 「いただきまぁす!」 姿勢を正して宣言したら、どうぞー、となっちが微笑んだ。 ゴハンもオカズもどれも美味しくて、箸をつけるそばから叫びつつ食べる。そうして元気になってく自分に気づく。 こんなふうに美味しい料理を作れるのはなっちの強さだ。この夏に。こんな夏に。 その強さを、分けてもらって食べてる。これ、しっかり蓄えとかないとね。全部を矢口のパワーに変えて、明日からのなっちを守るから。 もしかしたら、そんな必要ないのかもしれないけど。なっちはきちんと一人で立っていられるんだって、そう思うとなんだか寂しいけど。 でも、いいじゃん。うん。矢口の気持ちだよ。他の誰にも向かない、他の誰にも任せらんない。なっちのために、矢口がいるんだ! ――そんな気合を、自分で作った料理に「美味しい」を連発してる目の前の相手は、たぶん、知らない。 |