Baby cry



「ねぇよっすぃー、眠たいの?」

食べ終えた夕飯の食器を洗って戻ってきたら、ベッドの上で体育座りをしてるよっすぃーのぼんやりした眼差しが気になった。

「んー?そうでもないよ」

「じゃあ、どっか具合悪いの?それとも、ただ単に機嫌が悪いだけ?」

「や、別に、どこもなんともない」

明らかになんでもなくない様子のくせに、返事はそっけない。あたしは内心やれやれと思ったけど、顔には出さずにベッドの端に腰掛けた。

だってさ。最近のよっすぃーは、やっぱり変なんだもの。今日だって、うちに来て御飯食べてくなんて、しかも自分からそれを言い出すなんて、すごく珍しい。

「ねぇ、今日のリハーサル、けっこうキツかったね」

「あー。まぁね」

……疲れてるんでもないみたい。っていうか、完全に生返事。よっすぃーには見えないところで、軽く溜息をつく。

悔しいような情けないような気持ちになるのは、何もしてあげられない自分を痛感するから。あたしが落ち込んでるときは、よっすぃーが軽々と元気付けてくれるのにね。

こんなふうに、よっすぃーが思い悩んでるときは全然入り込めない。見えないバリアが張られてしまって、あたしはその周りでジタジタするだけ。

途方に暮れたくなってる人の気も知らないで、よっすぃーはぬいぐるみを抱えてくつろぎモードに入ってしまった。



思い当たることが無いわけじゃないんだ。憂鬱も不安も、寂しさも。

だって、もう4月も終わってしまう。あたしが感じてるのと同じような気持ちを、よっすぃーが感じてない筈がない。

ただ、そういうネガティヴな感情を顕わにしてしまうことに、あたしは抵抗がないけど、よっすぃーは違うのかもしれないなぁ、って。

「……ねぇ、よっすぃー」

呼び掛けに、んー?と答えるだけの、沈んだ瞳。真正面から向かい合って、じっと見つめた。

「あのね。……泣きたかったら、泣いてもいいんだよ」

出来るだけ、何気なく。さりげなく。よっすぃーが安心できるように、少しだけお姉さんっぽく。膝にそっと手を触れて、あたしは続ける。

「よっすぃーはさ、元気でいようとしてるのかもしれないけど。保田さんのこと、笑顔で送り出してあげようって、頑張ってるのかもしれないけど」

柔らかく語りかけていると、瞳の色が微かに揺らぐ。軽く見開かれて、あたしが映る。

「ごっつぁんのときも、そうだったでしょ?そういうよっすぃーの優しさはすごく好きだけど、でもね、無理することないと思う」

ね?って、小首を傾げて覗き込んで、あたしは微笑む。

「泣いて、いいよ?」

よっすぃーは痛いほど真剣にあたしを見つめ返して、やがてゆっくりと開いた唇から零れた言葉は――。





「はぁ?」





「……や、『はぁ?』じゃなくて。保田さんが卒業しちゃうの、寂しいんでしょ?だから」

「うん、いや、そりゃ寂しいけど。なんで、今ここで泣いていいとかそういう話になってんの?」

飄々とした口調は、素のリアクション。センチメンタルのかけらもなくて、その時点で自分の見当違いに気づきはしたものの。

「だって、よっすぃーがうちに来るとか言うから!なんか、よっぽどツラいのかなぁとか、すっごい心配になっちゃったんだもん!」

「あー。あぁ、それで、か。ハイハイ、分かったよありがとう」

引くに引けなくなったあたしと、事態を完全に楽しんでるよっすぃーと。

「何……なんなのよ、もう!え、ねぇ、本当に大丈夫なの?あたし、絶対誰にも言わないよ?」

「まだ言ってるし。そんなさぁー、泣かないって。梨華ちゃんじゃあるまいし」

気が付けば、すっかり普段と変わらない、じゃれ合いに似た言い合いだけが続いて。

「ひっどーい!そういう言い方するわけ?だったらいいわよ、もう知らないから」

「うっわ。なんか怒ってるよ、この人。ねぇ。怒ってるねー、怖いねー」

結局、ぬいぐるみに何やら話しかけてるよっすぃーに背中を向ける、お決まりのパターン。



「……別に、怒ってないけど。よっすぃーが大丈夫なら、それでいいけど」

「うん、マジ平気だって。なー、クマ五郎」

「変な名前付けないでってば」

「いーじゃん、そういう顔だよコイツ」

ちょっとムッとしてた気持ちが30秒も続かないのも、よっすぃーの命名センスも。いっそ呆れてしまえるほどに、同じことを繰り返して。

そして、ふいに、空気が変わる。パス、と軽く『クマ五郎』を投げてきたよっすぃーは、そのままベッドに寝転がった。

「なんか、よく分かんなくってさー。圭ちゃんが辞めんのって、ほんと全然実感湧かなくて」

紡がれる言葉は、強がりを纏わないよっすぃーの本音。両手でぬいぐるみを抱きしめて、あたしもしんみりとした気持ちで頷く。

「寂しいかっつったら、そりゃそうなんだけど。でも、それで梨華ちゃんとこ来たくなったのかっつったら違うんだよなぁ」

「や、あの、それはもういいから。あたしの勘違いってことで」

「んー。でも、言われてみれば変だよなぁと思って。なんか今日、梨華ちゃんちに来たくなってさぁ。なんか……あるんだよ、たぶん」

宙をさまよってる視線。その瞳の澄んだ色に、無意識のうちに惹かれてる。

よっすぃーは、自分の気持ちを探してる。だから、あたしが手伝おうとしても無理なんだって、やっと分かった。

「紅茶淹れてくるね。飲むでしょ?」

「……ん」



考えたんだけどさ、とティーカップを口元に運びながらよっすぃーは切り出す。

「吉澤はねー、どうやら今、自分にムカついているらしい」

……冗談めかせた言い方だけど、言ってる内容は茶化せるような気配がない。

穏やかな表情で紅茶を飲んでる人の台詞じゃないでしょ、少なくとも。

「ムカついてるの?自分に対してってこと?」

「や、なんつーかさ。なんだろ、後悔してるんだよね。圭ちゃんのこととか考えてると、1コだけめっちゃ後悔してることがあって、それがすごい頭の中で……消えない」

ふるふる、と頭を振ってみせて、照れた顔で笑う。真剣な雰囲気になるのを避けようとする、いつものこと。

こういうときは、だから、切り込んでいくのがあたしの役目だね。

「1コって、何?」

「んー。プッチ」

答えは簡潔で、そのぶんだけ重たい。けれど、うちに来た理由は全部、それで説明がつくような気がする。

大丈夫。ちゃんと、話を聞いてあげられる。心構えを新たにして、視線で続きを促した。



――なくなっちゃうなんて思ってなかったんだ、とよっすぃーは呟いた。

なくなっちゃうなんて思ってなかったんだ。その気持ちは、ストレートに痛い。

タンポポに置き換えてみれば、誰よりもあたしには分かる。なくなっちゃうなんて。それでも続いてゆくなんて。

「ごっちんと圭ちゃんとずっとやってて、またそのうちにシングル出して、ライヴで歌って……みたいにさ。モーニングと一緒で、自分が卒業とかするまで終わんないもんだと思ってた」

期間としては、2年と少し。3枚のシングルと1枚のアルバム、1冊の写真集。それが、第2期と呼ばれた間に残せた全て。

「けど、いきなりじゃん?二人が卒業するから、このプッチは9月23日で終わりでーすって言われてさぁ……」

7月29日。ユニットとしての第2期の終結、第3期の開始の予告。

「なんかもう、えぇ?って感じで。なんで終わっちゃうんだろー、ウチは、吉澤自身はなんにも変わってないのにーと思って」

9月23日。秋のコンサートツアーの最終日に、ごっつぁんと保田さんとよっすぃーのプッチモニ、飯田さんと矢口さんとあいぼんとあたしのタンポポは幕を閉じた。

「……もっと、やりたかった。今もプッチはあるけど、そこで頑張ればいいんだけど、あの頃、また次があるって思ってた自分が、なんか、すっげぇ……」

バカみたいでムカつく、と。投げ出すみたいに言って顔を伏せたよっすぃーが切ない。

あたしも、同じだよ。――そんな言葉は、慰めに役立つのかな。あたしも、思ってたよ。バカみたいに、何も変わらないって信じてたよ。

だけども何も言えなくて、テーブルの上の手に、そっと自分の手を重ねた。



一瞬、何が起きたのか分からなかった。

手を払い除けられて、拒絶されたのかと思って、顔を上げたよっすぃーの追い詰められたような表情に目を奪われて、そして。

――抱きしめられてる。よっすぃーの、腕の中。視界にパーカーの鮮やかな黄色。目を閉じたら、微かに、鼓動。

感覚を頼りに、ティーカップをテーブルに置いた。飲み終えた後だったから零さずに済んで、あぁよかったとぼんやり思う。

よっすぃーの腕の力が強くなる。じゃれ合いの延長のハグとは違う。しがみ付いて爪を立てる動物や子供を連想させる、切実な温もり。

抱きしめられてる、それだけで、あたしはあなたを救えるのかな?

少しずつ凭れかかって密着してくる身体を、背中に腕を回して支えた。

「……どうすんだ、もう。どうしよう」

途方に暮れた声がさまよう。よっすぃーには似つかわしくない種類の、自嘲。

「どうしたの?」

問い返しても、しばらくの沈黙。困惑や混乱や、いろんな感情が伝わってくるよ。

「まだ、信じてる」

絞り出されるような声と、耳にかかる息が熱い。

「梨華ちゃんとはずっと一緒にやってけるんだって、まだ信じちゃってる自分がいる……」

震えているのは、崩れ落ちそうなのは、誰?



「ほんっとに、バカだ。どうしようもねー……梨華ちゃんと、辻と加護と、変わらないって……ずっとこのままだって思ってるよ」

そんなわけないじゃん、ねぇ?――途切れた言葉は、自分に言い聞かせてるのかあたしに縋りたいのか分からない。

「どうしよう……こんなんでさぁ、梨華ちゃんにいきなり『娘。辞めることになったの』とか言われたら、もう」

「……辞めないから!」

口をついた叫びが、辺りを覆ってしまった不安を断ち切る。その覚悟で、腕を掴む。

「辞めないよ?だから、そんなこと怖がらなくっていい!よっすぃーはあたしのこと信じてていいから!」

いろんなこと、考えてた。本当は、あたしだって信じてないのかもしれない。気持ちなんか変わるものだし、娘。もハロープロジェクトも変わり続ける。

よっすぃーの表情も、そう言ってるみたいだった。気持ちだけじゃどうにもならないことに気づいてしまっている3年目。

それでも。

「あたしは、よっすぃーと、ずっと一緒にやっていけるって信じてる」

だから、信じて。怖くないよ、お互い様でしょう?

揺れる眼差しを、まっすぐに見つめて逸らさない。いつからか、知っていた。あなたの弱さはあたしを強くする。

「……信じる……」

あたしの強さは、あなたを強くする――きっと。



「でもさー、これで辻とか加護に『娘。卒業することにしたー』とか言われたら、すっげぇヘコむよね」

さっきと同じにベッドの上で、よっすぃーは可笑しそうに仰け反る。

「違うよ、ウチら会議室に集められてさ、つんくさんに言われるんだよ。『えー、辻と加護がモーニングを卒業することになったから』みたいな」

悪乗りして、あたしも笑う。二人きりなら笑える冗談。今だから。

「絶対キレるね、それ。なんだよー!つって、こう……何?ちゃぶ台引っくり返す。そんぐらいの勢い」

「あ、じゃあ、会議室のあの長い机」

「蹴って、がっしゃーん!って。オマエら許さーん!つってもう、めちゃめちゃ怒る」

妙にリアルな想像に、くすくすと笑いが止まらない。っていうかよっすぃー、それじゃガンコ親父だよ。

2杯目の紅茶に口を付けて一息入れたとき、ぽつり、と付け足された言葉には胸が痛んだけれど。

「……あのとき、机、蹴っちゃえばよかったのかな」

振り向いて見上げた顔に浮かぶ寂しさ。あたしは手を伸ばして、クマ五郎を差し出す。

「それは、ダメでしょ」

「ダメだよねぇ。そりゃそうだよねー」

「うん。……保田さんの卒業、ちゃんと送り出してあげようね」

「おぅ。当ったり前だぁ」

晴れやかに、笑う。見慣れた、いつものよっすぃーがそこにいた。



変わっていくもの。変わらないこと。モーニング娘。タンポポ。プッチモニ。石川梨華。吉澤ひとみ。

先輩の卒業。後輩の加入。

5月5日、あたしたちは、またひとつ大人になる。