Be all right!



暑い暑いと繰り返し、ぼやきながら足を進めた。

重く垂れ込めた雲からじっとりと湿気を含んだ空気の層。アスファルトの地面では熱気の逃げ場も無く、停滞する気怠さ。

スタジオからスタジオへ、施設内の屋外通路で束の間感じる、真夏。

「あー。カオリぃ」

500mlのペットボトルと格闘していた矢口が、観念した表情でそれをこちらに差し出した。緩んだ気配のない白いキャップと、矢口の真っ赤な手。

滑らないようにタオルを当ててから、くっ、と力を込めて捻る。ぱき、と小さく乾いた音が手の中で響いた。

「おー。流石」

「楽勝だね」

くるくるとキャップを回して飲み口を開ける。しゅわしゅわしゅわしゅわ、細かい炭酸の泡立つ音が耳に涼しい。

「飲んでいい?」

「うん」

目線だけを下げて問い掛けて、口をつける。ジンジャーエールなんて珍しいね、矢口。

冷たい金色のソーダが舌を刺激して、こく、と喉を滑り落ちた、その瞬間。

「それ誕生日プレゼントね、カオリ」

しれっとした表情と台詞に噴き出しそうになった。危ない危ない。

「なー――んだよそれぇ、聞いてないよー」

ペットボトルを差し出しながら真に受けたふりをしたら、くくくく、と矢口が前傾姿勢で笑った。

「や、冗談だから、冗談」

笑ったり喋ったり忙しい唇で、嬉しげにジンジャーエールを呷る。姿形こそ違うけれど、犬に新鮮な水をあげるとこんな感じだと思った。実家のりんごも、かももも。

そんなに一気に飲んで、お腹を壊したりしないんだろうか。小さな矢口をまじまじと見つめて、少しだけ心配になった。

「……何よ」

「……」

「今、なんか全然関係ないこと考えてるでしょ、カオリ」

「そんなことないよ。ただ」

ただ、と言い淀んだのは。矢口の言ってることも間違いじゃなくて、考え事が連鎖的に繋がっていった、その内のどの部分を話そうか、と迷ってしまったから。

「矢口、暑そうだなぁと思って」

「はい?いや、そりゃ暑いけども」

いちばん無難な部分だけを答えた。案の定と言うべきか、矢口は怪訝そうな顔をする。

「カオリだって暑いでしょーよ、ってゆーか今日暑くない人間なんていないね。無理」

「……そうだけどさぁ」

うん。それも考え事の中にあったんだけど。圭織も暑いんだけど。でも。

「圭織が、でっかい圭織が感じてるのと同じ暑さをさ、ちっちゃい矢口が同じに感じてたら、やっぱり矢口の方が暑そうじゃない?」

「そーゆーもんかぁ?えー?なんか、分かるような気もするけど絶対間違ってるよ、それ」

「そっかなぁ……」

「んな、オイラ子供じゃないんだからさー」

苦笑いで、矢口は半歩先を行く。やっぱり小さなその身体に、夏の空気が纏わりついてるように見える。

それはいかにも辛そうで、なんだか勝手に胸が痛んだ。

「でもー、あれ、今日は曇ってるけどさぁ」

くるりと振り向いて、矢口が仰ぎ見る。

「晴れてたらカオリの方が暑いんだろうね。ヤグチより全然、太陽に近いから」

……うーん。と、考え込むには十分だった。真面目なのか茶化してるのか微妙な表情を、矢口がしてるから。

「オイラはそういうとき、カオリの日陰に入れるよ」

肩口にも届かない位置で、ショートカットの頭が揺れる。



たくさんの辛かった出来事は、矢口と一緒じゃなかったら、きっともっと辛かった。

八月の暑さのように蘇り、また訪れる切ない記憶。

昔。そう呼べるくらい遠く感じるようになった三年半前。あたしと矢口は『二人』だった。

あのときは、掛け値なしの『二人』。――今度は。

いっぱいいるのに、『二人』になるね。残されていく『二人』だね。

でっかい圭織と、ちっちゃい矢口。



ぽつり、と腕を濡らした雫に空を見上げた。ぽつ、ぽつ、と確かな質感を伴って、たちまち大粒の雨が辺りに降り注ぐ。

弾かれたように走り出したのはほとんど同時だった。

「雨ー!雨ー!」

「降ってきたー!どうすんだー!」

「夜まで平気だって言ってたのにー!」

「台風、もう来てんのかなぁー!?」

「飛んでかないでね、矢口ー!」

「真顔で言うなぁー!おいー!」

いつしか高まるテンションに、この道が何処までも続いていけばいい、なんて子供じみた感情が胸を突いた22歳の誕生日。